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ご挨拶

当院は、地域の健康増進に真摯に取り組んでいます。
患者様に寄り添った診療をモットーに、問診や診察にも最善をつくして、お気軽にご相談いただけるクリニックづくりを目指しています。
スタッフ一同、皆様のご来院をお待ちしています。何卒よろしくお願いいたします。

院長 末松義弘

略歴

1994年 滋賀医科大学医学部医学科  卒業
2003年 東京大学大学院博士課程医学研究科 修了
1994年 名古屋医療センター研修医
1996年 国立循環器病センター心臓血管外科
1998年 東京大学医学部附属病院
2003年 日本学術振興会海外特別研究員
2003年 アメリカ合衆国・ハーバード大学ボストン小児病院心臓外科リサーチフェロー
2005年 カナダ・ウエスタンオンタリオ大学ロンドン・ヘルス・サイエンス・センター心臓外科クリニカルフェロー
アメリカ合衆国・ハーバード大学ボストン小児病院心臓外科リサーチコンサルタント
2007年 東京大学医学部附属病院・病院講師
カナダ・ウエスタンオンタリオ大学ロンドン・ヘルス・サイエンス・センター心臓外科 客員教授
2008年 東京大学医学部附属病院・非常勤講師
筑波記念病院・心臓血管外科部長
2013年 筑波記念病院・統括診療部長
2019年 筑波記念病院・副院長

資格・役職

  • 日本抗加齢学会専門医
  • 心臓血管外科修練指導医
  • 小児慢性特定疾病指定医
  • 身体障害者指定医
  • 心臓血管外科専門医、指導医
  • 日本胸部外科学会評議員
  • 日本心臓血管外科学会評議員
  • 脈管学会専門医、指導医、評議員
  • 冠疾患学会評議員
  • 人工臓器学会評議員
  • 日本血管外科学会評議員
  • 産業医

所属学会

  • 日本人工臓器学会
  • 日本心臓リハビリテーション学会
  • 日本冠動脈外科学会
  • 日本循環器学会
  • 日本睡眠学会
  • 日本抗加齢学会
  • 点滴療法研究会
  • Society of Asian Cardiovascular and Thoracic Surgery, Active member
  • The European Association for Cardio-thoracic Surgery, Active member
  • Society of Thoracic Surgeons, International Member
  • The American Association for Thoracic Surgery, Fellow

リンク

対話

――先生がこれからされる「国際ハートスリープクリニック」を立ち上げられた経緯を教えてください。

‌私が30年心臓外科医として仕事をしてきて、やはり術後に心不全を繰り返したり、調子が悪いという患者さんがいました。なぜ心臓を治したのに、そうなるのか、とずっと問答を繰り返してきました。その時に見つけた病気が睡眠時無呼吸症群です。心臓が悪い、大動脈解離を起こした患者さんなどすべての患者さんに検査をしたところ、ほとんどの患者さんが睡眠時無呼吸でした。これは正直私も驚きました。と同時に私たち心臓外科医、循環器内科医は高血圧や心不全となってしまった人、つまり病気でいうところのダウンストリームで治療してる訳です。そうなるとどんどん患者さんは薬が増えていってしまう。90歳の患者さんが20種類もの薬を飲んでるというのは珍しくない訳です。そういった心臓や血管が悪い患者さんは先に申し上げたように睡眠時無呼吸症候群がある。そこを治すと実は病気が良くなったり、場合によっては再手術を回避できるようになることをこの10年間実感しました。アップストリーム治療です。川の下流でいくら治療しても上流で治療できなければなんの効果もない。逆に上流で治療すればすべて解決されます。予防医学に近いと思います。また、保険診療で限界のある心不全の患者様の選択肢として最先端の自由診療も行っていきます。これを私の最後のライフワークにしようと思いました。その結果が「国際ハートスリープクリニック」です。循環器と無呼吸症候群の専門病院というのはまだ全国に例がありません。それを今後10年かけて全国に広げていければと考えています。海外もホノルルに分院を作る計画も進んでおります。もっと多くの患者さんを助けたい。私の人生の目標はそれだけです。

――これまでの心臓外科医としての歩みを振り返って、今どのような思いをお持ちでしょうか。

私が心臓外科医としてやってきた30年あまりは、ちょうど心臓手術による治療や人工心肺などの機器が急速に進歩した時期でした。人間の身体を切って治すという外科手術の歴史は5000年以上前からありますが、心臓だけは20世紀の半ばまでそれができない特別な臓器でした。いわゆるノーマンズランド(no man's land)だったわけです。心臓は24時間365日、常に動いており、全身に血液を送る役割があります。そこにメスを入れると人間は死んでしまうので手出しできないという状態がずっと続いてきました。1953年にジェファーソン医科大学の外科医ジョン・ヘイシャム・ギボンにより、最初の人工心肺を用いた体外循環による開心術が行われました。その後メイヨー・クリニックのジョン・カークリンらによりギボン型の人工心肺が改良されて良好な手術成績をおさめたことにより、以後人工心肺は世界中の心臓外科手術で幅広く使用されるようになったのです。画期的な時代が1950年代に幕を開けたのです。

それ以降、心臓のどこが悪いのかという診断の技術、どうすれば良くなるかという治療法の開発、さらに手術の時間を確保する人工心肺の機能向上が急速に進みました。これにより、それ以前は分かっていても手出しができなかった心臓の病気が治療できるようになり、才能ある心臓外科医たちが新しい治療法や画期的な手術を次々に報告しました。それがちょうど1960~70年代ごろです。

私は1968年生まれで、医学部を卒業したのが1994年。それから名古屋医療センター、国立循環器病センター、東京大学と20代、30代、40代は心臓外科ひと筋で生きてきました。心臓移植も再開され、まさにその時期が心臓外科の急成長と重なっていたので、良い時代にめぐり会ったのだと思います。そういった中で、新しい手術法を考案して、国際学会で発表してきました。

――ほとんど先例のないところを何が正解か分からずに進むという難しさもあったのではないでしょうか。

もちろん、ありました。それは世界中の心臓外科医が向き合う課題でした。教科書に書いてある通りなら助からない患者さんがいる。それを「仕方がない」と思うか、「何とかしたい」と思うか。その方法は当然、教科書には書いてありませんし、誰もやったことがない。そんなことがたくさんありました。教科書を開くと人の名前がついた手術がたくさんあります。その人たちは、みんな才能と努力に加えて、覚悟を持っていたのです。

うまくいかずに周りから責められるのが嫌だと思ったら、何もできません。そういう意味で本当に挑戦の時代、激動の時代だったと思います。私も、同じ心臓外科医になるなら誰よりも上手に手術ができて、誰よりも重症の患者さんを治すことができるよう、さらに他では助けられない患者さんを何とか救うことができる方法を見つけたいという気持ちで、ずっとやってきました。使命感というほどではありませんが、それが医者の仕事ですし、ある意味で当然のことだと思っていました。そもそも人を人が治すのが医学です。

――これまで、たくさんの困難やハードルに遭遇されたと思います。どうやって乗り切ることができたのですか。

私は別に世界で初めて真っ先にやりたいとか誰もやったことがないことをしようというわけではありません。結果的に一番だったのであって、二番でも三番でも良いのです。ただ、こういう新しい手術が始まるという時に、手術をちゃんとできるよう、少しでも良い結果を出せるよう、しっかり準備を整えておく。そうすると「お願いします」という患者さんが来て、やってみたらそれが最初でしたということになる。その積み重ねです。正直に言うと一番じゃないほうが楽なのでしょうけど、逃げるわけにはいかない。自分ではそのように感じませんが、そういうしんどい役回りなのかもしれません。

もちろん、そのような場合に最初からスイスイうまくいくことはありえない。思い通りにならないことがたくさんあって、問題点が浮き彫りになる中で、それらをどう解決するかという工夫を積み重ねていく。そうすることで、この手術はこういう人に向いていないとか、少なくともこれくらいの成功率を実現できるとか、ある程度のメドが立つわけです。1例目から100例目まで成功するようなことなら、もう教科書に書いてあるでしょう。誰も知らない、誰もやったことがない、この手術で本当にどれだけ助けられるか分からない、しかし医学的には命を救える可能性がある、そういう状況で始めるのですから。

――苦しい場面や逆風にさらされることもあったのではないでしょうか。

表舞台に立つ人間というのは必ず風当たりが強くなるものです。特に私の今までの実績・業績の1/3にも満たない日本中の大学病院の教授たちは私がやっていることが面白くない訳です。しかしそれは私にとっては想定内です。それが嫌なら、やらなかったでしょう。人から褒められたいとか、チヤホヤされたいという考えなら、やらないほうが良い。周りにいるのは常に足をひっぱろうとする。ゼロから1をつくる時は、誰かが言うからやるとか、逆風が吹いたらやめるとか、そういう問題ではありません。みんなが見つめている中でやるわけですから、いろんな反応があるでしょう。日本という国は不思議なことに出る杭は打たれるようになっています。海外で普通に「Good luck」というところが日本では言えないし、私も言われたことがありません。人種、社会の問題なのでしょうか。私はそういう人達とdiscussionにならないdisucussionを重ねるよりも、海外で対等にしかも建設的なdiscussionをしたいと思い、ほとんどの手術や結果を海外でしか発表していませんでした。私も若くないですから、無駄な時間は極力避けたいと。

――先生が考案された日本初の様々な手術では、手術自体は成功したものの、結果的に患者さんが亡くなってしまうこともあったのではないですか?

もし患者さんの家族から非難を浴びていれば、辛いことです。しかし、その患者さんが亡くなった後、ご家族や私の周りの医療スタッフは、「周りが何と言っても、この手術をやめないでください」「私の家族が病気になったら是非スエマツ法で助けて欲しい」「先生がやって無理なら他の病院では絶対無理です」と言ってくれました。治療しなければ確実に亡くなってしまう患者さんでしたので、本人と家族には手術のリスクも何もかも全て徹底的にお話をして、「手術を受けるかどうかを考えてください」とお伝えしました。そのうえで一生懸命お考えになって、「手術を受けたい」と決断されたのです。もう前に進むしかないでしょう。他の大学病院や大きなセンターでは「もう無理です」と簡単に言ってしまいます。私はそこに非常に違和感を感じる訳です。

手術は成功し、無事に集中治療室に戻られました。その後、この手術を継続して行っていると、もちろん成績は世界が驚くほど良いのですが、患者さんの中には間質性肺炎を起こして亡くなったり、腎不全が進行して亡くなってしまうことも稀にありました。ベストを尽くしたと分かってもらえたからこそ、「先生にやってもらってよかった」という言葉をいただきました。最近、某国立のセンターで心臓手術で医療過誤あり、その心臓外科医が刑事告訴された記事を目にしました。私にはとても不思議に感じます。どんな手術でも必ず上手くいくことはなく、定時の手術であっても数%の命のリスクはある訳です。私は常に誠実に患者さん、ご家族に接してきました。その中でいろんなことがある訳ですが、その都度しっかり説明責任は果たしてきたと考えています。30年心臓外科医として第一線で働いてきましたが、幸い医療ミスのようなこともなく医療訴訟や裁判に至ったことはありませんでした。やはりそのような記事を見ますと説明責任を十分に果たしていなかったのだと思います。

話が逸れましたが、その一方で、先の教授たちは「売名行為だ」とか「患者を死なせた」などと騒ぎ立てます。しかし、そういう人たちに私は何も言うつもりはありません。そのような声が出てくるだろうというのは分かったうえで、手術すると決めたのです。想定範囲内だったわけです。一回やって周囲から批判されたらやめるというなら、初めからやらないほうが良い。そんなものは挑戦でも何でもない。

助かる可能性はあるが答えは見えないという手術に臨むには強い精神力が必要です。もし準備が不十分だったり、不勉強だったり、手抜きがあったりしたら、それは許されない。しかし、誰よりも徹底的に勉強して、考えられる万全の体制を整えて、そのうえで出した答えなのです。

――大変な覚悟です。なかなか誰にでもできることではありません。

それも私の役回りなのでしょう。ただ、医者というのは今日できることを明日もやれば良いというものではありません。医学の歴史とは、古代エジプトの時代から数えきれない先人たちが様々な試みを繰り返し、たくさんのチャレンジの成果が積み重なって、それぞれの分野が分厚い教科書になっているのです。それでも、私たちが教科書を開くと「この病気には治療法がない」などと書いてある。それを知っているからといって、患者さんに「私は教科書を全部読みました。この病気は治せません」と言って平気な医者がいるとしたら、私は不思議で仕方がない。自分の専門領域で治せない病気があるなら、「どうしたら治せるのか」「こういうふうにしたらどうか」と、いつも考えているのが医者というものです。今ある知識を頭に叩き込んで、その技術で病気を治療できるというのは、医者の仕事の9割に相当します。残りの1割とは、「今できないことをどうやって可能にするのか」というクリエイティブ・マインドを常に持っておくことです。そして、本質は何かということを常に考える。そうすると必然的にアイデアが沸いてきたりするものです。なかなかそういう人物に出会うことはありませんが、昔学会で会った国際的に有名なスイスの心臓外科権威のフォンセゲッサ教授と意気投合し朝までdiscussionしたというのもいい思い出です。彼はアイデアの宝庫でしたし、更に私のアイデアを盗もうといろいろと質問してきました(笑) そういう人が歴史上たくさんいたから教科書がこれだけ分厚くなったのです。

――昨今、日本の医療については様々な課題が議論されていますが、どのような展望をお持ちでいらっしゃいますか。

これまでアメリカ、カナダで手術をしてきましたが、日本の医療は極めて高いレベルにあると思います。保険制度によって患者さんが負担する医療費は少なくてすむし、一流のスペシャリストの治療を受けるために特別料金を支払う必要もありません。世界的にみれば、日本の国民が医療という面において恵まれた状況に置かれていたというのは、これまでのところ間違いありません。

ただ、これからは保険制度の維持が課題になってくるし、地域によっては医療におけるマンパワーの問題が生じるでしょう。実際に私が前職を辞めて開院準備をしている1年以上の間に、茨城県内の心筋梗塞や大動脈解離の患者様の死亡率が急に上がってしまったと周囲の救急医から言われます。特に若い人がたくさん命を落としている。それは本当に心が痛い想いです。申し訳ありませんとしか言いようがありません。こういった事も含めて、それらの問題は、今もう目の前に突きつけられています。10年、20年後に今と変わらず世界でも医療に恵まれた国と言えるのか、それは分かりません。

――医師というお仕事は大変な激務で、働き方の問題も指摘されています。

分野にもよりますが、とりわけ心臓外科、一般外科、救急、脳外科、小児科、産科は本当にきつい。だからといって給料は変わらないので、結局は現場の人間の責任感と患者さんへの思いに頼ることになっています。でもやっぱり、命に関わるような状態の患者さんを治療して、また元気になって家に帰れるようにするということを経験すると、そのやりがいは格段に大きいと思います。

そういった状況は、いわゆる「働き方改革」の観点からすると良くないのかもしれません。しかし、「午後5時になったので帰ります」と言って医者が手術をやめるわけにはいかない。本人にしても、自分の診ている患者さんが生きるか死ぬかという時、やはり自分がそばにいて治療を尽くしたいという思いが絶対ある。

昔は、私も「患者の具合が悪いから家に帰るな」と言われたものです。患者さんが寝ているICUでベッドの隣の床にシーツを敷いて私も横になり、モニターを見ながら1か月ぐらい寝泊まりしたこともあります。自分の命を削っているようなもので、ちょっと行き過ぎでした。医局の誰かが「ちょっと休めよ」と言えばよかったはずですが、あの頃はみんなそんなものだと思っていた。

――何十時間も寝ていない当直明けで心臓手術を行うこともあったのですか。

それが不思議なことに、集中するとできるのです。体内にアドレナリンが出るのでしょうね。最高の緊張状態に自分を置くと目が冴えて、眠いとかトイレに行きたいとか、そんなことは何も考えない。ただ、それは麻薬みたいなもので、身体には良くないのでしょう。手術がうまくいって、患者さんがICUに入った途端、ドッと疲労感が襲ってくる。とはいえ頭は冴えているから、心地よい眠りにつくわけでもなく、いわば自分の身体が滅びていくような実感がありました。だから、そういう働き方は良くないとも思います。厚生労働省が言うように、医者自身の健康管理もきちんと行うべきだというのは、間違っていません。ただ、目の前で患者さんの命が浮き沈みしている状況で、そう簡単に「後はお願いね」とは言えないこともある。そのあたりのほどよい仕組みをどうつくるのかが、今後の課題です。アメリカ、カナダで出来ることが日本に出来ない訳がないと思っています。

――これからの社会を担う次世代、とりわけ医療に携わる若者たちへ、メッセージはありますでしょうか。

現在、医学部人気が高いと聞いています。私としては今も医学部を目指す若者がたくさんいるということを大変うれしく思っています。やはり、なり手がいないとどうにもならない。これは医療従事者だけでなく、行政にとっても、さらに国民全体にとっても大切なことです。もしこれが減り始めたら危機的です。

医学部を目指す受験生たちは、もちろんまだ自分の手で人の命を救ったことがないでしょう。それが、医師免許を取って医療の現場へ行けば、勉強しながらも患者さんの治療に取り組んで、悪かった方が元気になって、退院する時は「ありがとう」と言ってくれる。その実体験をすれば、これは本当にやりがいのある仕事だというのが、すぐに分かるはずです。やりがいというのは教科書には書いてありませんから。

――最後に、国際ハートスリープクリニックに期待されておられる患者様に、メッセージをいただけますでしょうか

心臓の病気、大動脈の病気はすべて原因が分かっています。いままで原因が分からないと言っていたほとんどが睡眠時無呼吸症候群であることが私の30年にわたる臨床経験でも、また多くの臨床研究でも明らかになってきました。睡眠時無呼吸症候群には有効な治療法があります。つまり予防することが出来る訳です。ただ日本ではそれを的確に検査、診断、治療をする医師、医療機関がありません。その中で「国際ハートスリープクリニック」は日本で唯一の循環器ー無呼吸症候群を最適に治療を行える施設です。今回の「国際ハートスリープクリニックーつくば」を拠点に、今後は東京、札幌、大阪、福岡、ホノルルと大都市に私たちの仲間を増やしていこうと考えております。ぜひ気楽にご来院ください。私たちはいつも笑顔で患者様をお待ちしております。

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